風の便り:1

大阪に越してきて一ヶ月になります。この土地の空気にもだんだんと慣れてきたように思います。期待や不安はあれど、浮き沈みの高さや振れ幅が、日常に馴染んできたように感じる今日この頃です。

夜明け、町の彼方に御来光がのぼり、部屋の壁を目掛けてまっすぐに照らし、徐々に満ちていきます。朝に夕に、窓辺に座しているわたしの目線の高さを鳥が飛び交い、盛んに鳴き交わしています。昼には移動スーパーの朗らかな音頭。夕暮れ時には子どもの遊ぶ声、ボールの跳ねる音、カラスの鳴き声。湿り気や渇きや熱気が、凛と澄んだ台地の空気の奥に隠れながら、一日ごとにみずみずしく異なって肌にふれます。眼に見える表情や姿は空の広さにつつまれて、混ぜ合わされて、掻き回されて、散らされて、季節の絵具で自由に描かれたこの土地らしい色模様のうちにさわやかに落ち着いて、だいたい安定しているように見えます。この土地の気候は瀬戸内海風だそうです。

自分自身の心境はといえば、風のように気まぐれで、うつろいやすさに頭を抱えています。内面も外面も定まるところがなく、あつかいにくいったらありません。昨日なんということなくできたことが今日できないということがあります。日々が修練であります。

自分がないのですぐ他人に流されます。「相手の気持ちに寄り添う」などという生温い言葉でごまかすことができないくらい、自分が自分の意見というものを持っておらず、何かを決めるのをすべて相手任せにし、無意識のうちに責任回避をしていることを知りました。自分を持ち、自分で考え、自分で行動することのできない自分を痛感しました。産まれたときから今日まで、そのように自分で自分を育て上げてきたかのようにも思え、根の深さを思い憂鬱になりました。

自分がないということを、こんなにも現実的な障害として思い知ったことはありませんでした。むしろ、自分がないことで、どのようにでもなれると思って安心していたのです。自分がないから、すべてがあるのだと思っていました。光を見て、風を感じて、さまざまな考えにふれ、会話をし、自分はこれから何者にでもなれるだろうと信じていました。そのような透明な自分になれたのも、空虚への親しみとでもいいましょうか、自分をなきものにしていく心地よさと、吹き抜けの感覚をいっそう身に染み込ませていこうとする楽しい試みの、前向きな結果と思っていました。しかしいま、皮肉なことに、自分がないことの不自由さを重く感じています。自分で自分をなくしてきたのに、自分がないことに絶望しているとは、笑うしかないですが、どの自分がどの自分を笑えばいいのかもわかりません。しかも時折、なくしきれておらず、密かにこびりついていた「自分」らしきものの残滓が顔を出し、なんでもない些細なところにひっかかったり、厄介な臭いを出したりするものだから、ややこしくて仕方がない。透明に見えたガラスも、近くで見るとあちこち曇って、汚れていたのです。

いまは、自分をきびしく見直し、必要な箇所は修正し、矯正し、ある程度準備してからあたらしい社会へ出ていくための整えの期間であると、言い聞かせています。その過程で、自分の古い考え方や、幼い頃から染み付いている癖や虜にされている記憶など、人生の棚卸しのつもりで振り返りながら書いていきたいと思い、これをはじめることにしました。

もともと資料の保存や日付の管理に偏執狂じみたところがあり、過去の文章や録音物など残してあるのですが、そのわりに自分の考えや記憶はなにひとつ整理も管理できておらず、いま現在の、眼の前にいるだれかと関係するということに際して、ほとんど現実的な経験値がないという有様です。これまでわたしと関わってくださったすべての方々の優しさや寛大さを想像し、恥ずかしくなります。

……などと書きながら、こういう書き方自体がもう過去のスタイルなのだと自覚しなくては! とも思ってきました。硬い。つまらない。暗い。そのように感じます。パソコンの前で文字を打ち込んでいる自分の姿を客観的に見て、どうだろう。もっと軽やかに、肩の力を抜いて、体裁も気にせず書いてみたらどうだろうか。壁に向かって、閉め切った場所で、自分だけに向けて書いている。その姿勢を、そのままパッケージして人前に差し出すというのが、これまでの自分の得意の、唯一可能なやりかただったのかもしれません。過去はそうでした。それはわかります。しかし、それはそれ、これからはこれからです。これからは、書く時点から相手のことを考えて、「伝える」ということをまず意識してやってみたいと思います。小説でもなく詩でもなく、はっきりと誰かに向けた「文章」を書けるようになりたいです。

自分で考えて、自分で行動すること。すべてはきっと、ここからはじまります。

何のために書くのか? これもまた、つきまとう問題ではありますが、まずは気張らず、やってみます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です