感情と許し

自分がわからないとあなたはいう
感情がないのだという

喜怒哀楽
ひどく縁遠い国の言葉のようになつかしく思い起こす四文字
喜怒哀楽
また、愛と憎しみ
熱い、生きるエネルギーを思わせる歓喜という言葉
日常だれもがもつこうした感情について
あなたは自分がそれらを持っている感じを思い浮かべようとしても
どうしてか、思い当たらないという

人生で一番嬉しかったことはなにか
最近あった悲しかったことは何か
これまで誰かに対して何かに対して本気で怒ったことはあるか
そうした問いにあなたはしばし考えて
「わからない」と答える
そしてそれに漠然とした不安や物足りなさを感じる
空虚を感じる
喧嘩をしても、旅をしても、贈り物をもらっても
自分のなかにいかなる感情も見つけることができずにいる
ほんとうに感情がない人間なのかもしれないという不安を信じ込んでいる

あなたはきっと、感情がないのではなく
気付いていないだけではないでしょうか
あるいは湧きあがる感情の
湧きあがろうとするはじめの動きを察知して
反射的に押さえ込んでしまっている
気付いても、自分で気付かないふりをしている
感じる自分をはじめから存在しなかったものにして

あなたは憧れのまなざしで見つめる
感情表現の豊かな人、率直な人
考えていること、話すこと、表情も仕草も一貫している人
「自分がある」ように見える人
プライドを持っているように見える人
そういう人がうらやましい
どうして自分はあのようになれないのか
何かが自分を妨げているような気がするがそれが何なのかわからない
どうして自分は感情を抱くことができないのか
抱くことがあっても、そしてそれに気付くことができても
自分に素直にそれを認め、表現することができないのか

あなたはどういうわけか
自分の思った通りの感情を抱くことを許可できないでいる
自分の感情を押し殺すことなくそのままに感じ
そのままに表現することを「自分に許す」こと
自分を持つということは、このように自分を許せるこころを持つことなのかもしれません
自分に許しを与えてやることで、これまで反射的に瞬時に押さえつけてきた感情をそのまま表現できるようになる
うれしいときは嬉しいと感じ
かなしいときは悲しいと感じ
つらいときはつらいと言うことができる
それは「いい」とか「悪い」とかいう判断のいるものではない
感じたそのまま、ただそれだけのものです
だから感じること自体に、良いも悪いもないのです
あなたはあなたの感じたことを、感じるままでいいのです

あなたはこれまでどういう理由からか、そのような自分でいることができなかった
あなた自身に許しを与えてやれなかった
育った環境や周囲からの影響、何かつらい体験や、築き上げてきてしまった凝り固まった考え方
いろいろなことがあったかもしれません
それらから自分を解放してやる
過去の自分に許しを与えてやる
そうすることであなたがあなたらしくいられるようになれたら、気持ちもかるくなり、きっとやがては自分に自信を持つことだってできるでしょう

過去はすべて今のあなたにつながっています
よかったこともわるかったことも、今のあなたにつながっています
これまでいいことはほとんどなかった
楽しいことも嬉しいことも思い出すことができず
つらかった記憶ばかりが残っている
言われて傷ついた言葉ばかりが胸にこびりついている
それはきっとひどくつらく苦しいことでしょう

けれども、あなたの過去があなたの現在につながっているということは
良いことでも悪いことでもなく、ただそれだけのことです
これまでどのような道のりを、どのような仕方で歩んできたとしても
今のあなたは今のあなたです
幼少期のあなたがどういう家庭環境で育ち
十年前のあなたがどこで誰と日々を過ごし
どういう思いを持ち、どういう言葉を話し、どういう行動をしていたとしても
そういうすべての過去が今のあなたを作り上げているのだとしても
今のあなたは今のあなたです

過去の自分を許し、慰めてあげてください
今の自分を許し、解放してあげてください
過去の自分も今の自分も、ともに愛してあげてください
今の自分を許してあげてください

わたしがいくらこのように言っても、今のあなたはまだ耳を貸すことさえできないかもしれません
どうすれば自分を許してやることができるのか
それができていたら、こんなつらい目に遭ってはいない
過去の自分が嫌いだ
当然その延長線上にいる今の自分も嫌いだ
自分で自分を許すことがなぜできないのか
どうすればどれができるのか
それができたならどんなに楽か
それができないから今を苦しんでいるんじゃないか
と、そのように思うかもしれません

わたしはここに至ってようやく神の許しについて考えています

自分で自分を許すということと
神から許されていることを信じることとの関係について
神から許されていると信じることで
わたしに、自分で自分を許す必要はもうなくなっているのかもしれない
わたしはだれをも裁くことができないように
わたし自身をも裁くことはできない
きっと、わたしが自分で自身を裁くことができないということが
神の赦しであり
やさしさなのだろう

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です